Le petit chat de la Tour d'en haut

天空の塔の仔猫は自分が小さいことを知らない猫だ。天空の塔の仔猫は自分が大きな黒猫だと思っている。とてつもなく大きな黒猫であり、ジャイアント黒猫であると思っている。そのふさふさした毛玉は森のようであり、ざらざらした舌は海辺の砂を削り取る引き波のようであり、喉をごろごろ鳴らす音は遠くの雷鳴のようであり、ぎらぎらした目は星々のようであり、突き立てる爪は鋭い刀剣のようだと自負している。けれども本当は、天空の塔の仔猫は小さいのである。それを知らないのは当人のみ。そして、仔猫がみんなそうであるように、彼は抱いてもらったり、なでてもらったり、昼寝をしたり、黒猫らしく不吉をもたらしたり、そばに来た人にくしゃみさせたり、鳥を食べたりするのが大好きだ。でも、実を言えば、彼が食べられるのは小指ほどの小さな鳥だけなのだ。

Séléna

女王セレナの人物像を説明するときは必ず、“美人”、“パワフル”、“上品”、“戦闘好き”、“蠱惑的”、“気分屋”といった言葉を重ねざるを得ない。とりわけ、フランス語で「ルーナティック(月の影響を受けた状態)」と表現される“気分屋”の性質は、彼女にとっては一種の宿命のようなものだ。なにしろ彼女は、ギリシャ神話の月の女神「セレーネー」に由来する名前を持つ上に、「月の王国」の女王様なのだから、「ルーナティック」になってしまうのも致し方ない。彼女は専制政治を行っている自国を拠点にして、あらゆる地域のあらゆる夜を見下ろそうとする。超越的存在であるセレナは、民衆や法律や俗事の上に立ち、世界全体の上に君臨するのだ。この女王は、ちっぽけな人生よりも偉大なる運命を好み、小さな情感よりも強く激しい感動を好む。もっと強く生き、もっと遠くを見ようとする彼女は、たとえ暗闇の中にあっても全然困らない。それどころか、暗闇の中でこそかつてないほど洞察力を発揮する。パラドックスな陰翳に満ち、ミステリーに包まれた暗闇の中でも、彼女は一切を見抜き、物事が起きる前に感じ取り、言葉が発せられる前に聞き取り、悩める心の全てを理解する。そんなセレナは、まさに月がそうであるように、人々を狂おしい気分にさせたり、海の潮の満ち引きに関わったりする。彼女こそは母なる女王である。セレナを前にしては「太陽の王国」もお手上げだ。その王ゼノンは好きなだけ日光を放ったらよいけれど、セレナは別に意に介さない。どうせ、いつだって、世界のどこかは夜になっているわけだから。

Roxane

ロクサーヌのことは誰もが愛さずにいられない。彼女は男の子みたいな娘だけれども見上げたプリンセスでもある。実のところ、この世の全プリンセスを総計したような風格を持っている。なにしろ、勇ましい武術と仄かな月明かりとバルコニーの逢瀬が大好きな型破りのプリンセスなのだから。でも、彼女は下で悲嘆に暮れている皇子が一人や二人いることに気づきもしないで、バルコニーをひょいと乗り越えて冒険に出かける。彼女は皇女用のドレスには怖気づくのに、他のことなら恐いものなしの変なプリンセスである。また、宇宙征服までもやってのけてしまう冒険活劇物語の主人公のようなプリンセスである。だがその反面、すべすべした乳白色のかんばせ(顔)を持つ仙女物語の主人公のようなプリンセスでもある。ひどく向こう見ずでありながら、ロマンチックなところもある逆説的なロクサーヌ。勇ましい戦いの場と優雅な舞踏の間を一緒くたにしてしまうロクサーヌ。そして、たおやかに昇る月の王国のプリンセスである永遠の乙女ロクサーヌ。

Lily

リリは可憐な名前とは裏腹にアザミのトゲのような性格をしている。彼女はやたらにお洒落に気を遣う気取ったプリンセスであり、おとぎ話に出てくるやんちゃな姫君であり、おいたをするので監禁しておいたほうがいいお姫様であり、えんどう豆の上に寝ただけでも傷ついてしまいそうな<本当の皇女>なのだ。愛用のクロテンの毛皮をまとい、いつも寒すぎるとか暑すぎるとか文句を言っている。不平たらたらなところがいかにもリリらしくて、彼女の気まぐれぶりは「月の王国」でも「太陽の王国」でも有名だ。そう、この点に関するリリの名声は国境を越えて広まっているわけだ。リリは自分の猫をなでたり、宝石を身につけたり、舞踏会に出かけたり、お化粧をしたり、かわいいティアラをかぶったり、屁理屈を通したりするのが好みだが、なんたって周囲に不満をぶつけるのが最高に好きなのだ。だって、それが愉快でたまらないんだから。でも、そうした自分の役柄に閉じこもる哀れなリリはやがて天空の塔に閉じ込められることになる。彼女は、プリンセスというものは皆こんな風に行動しなければならないのだと固く信じている。向こう見ずな姉と女王然とした母親との間に挟まれたリリは、自分の存在理由を発揮するために、人の注意を引いたり怒りを買ったりせざるを得ないのであった。けれども、リリをそういう女の子にすぎないと簡単に決めつけてしまい、彼女があえてそうなろうと努めている無節操娘の姿しか認めないのは間違っているだろう。リリの本当の価値はそれ以上のものだ。彼女の青白い表情の裏には寛大な心が隠れており、その暗い瞳の底には大きな希望が潜んでいるのだから。リリちゃん、もう少しの辛抱だよ。いつか君も大きく成長するからね。

Ichtyonef

魚型飛行船の「イクチョネフ」はかっこいい! これは両王国で一番優れた頭脳の持ち主が考案した素晴らしい飛行体だ。びっくりするほど大きくて、トビウオなんかよりもずっとうまく空を飛ぶことができる。もちろんイクチョネフが登場する前にだって、悪天候の中でも雲間を進む飛行船がなかったわけではない。しかもその一部は今でも運行されていて、前線間の軍隊の移動や二つの王国間の人の移動に役立っている。けれども、イクチョネフは全く別格なのだ。魚類から着想した胴体はウロコのようなものがうまく浮き出ていて、風の中を突っ切るのに適している。また巧みなヒレ構造のおかげで、上昇気流に乗る際には前代未聞の揚力が得られる。さらには機体の居住性も抜群で、中に座っていると揺りかごであやされているようで、つい、うとうとして時間の経過を忘れてしまうこともあるくらいだ。

Helios

エリオスには悩みがある。自分が持っている天使の容姿と冒険者の心とをどう折り合いをつけたら良いのか。児童小説から出てきたような無邪気な容貌と、それとは裏腹のパイレーツの魂とを併せ持つエリオスは、温かい陽光のごとく穏やかに時を過ごすのか、それとも世界中を雄飛するのかで迷っている。彼はこの迷いを痛感している。そもそも、「ヘリオス」(太陽神)に由来する彼の「エリオス」という名には両方の意味がある。かくしてエリオスは夢を見る。彼は夢の中で毎夜月の女性と会う約束をするが、思いはかなわずバルコニーの下で行きつ戻りつ思案にくれる。愛する女性の名前が何であろうとそれは構わない。ここで大事なのは夢物語である。彼が自らに語るストーリーである。例えば、塔の中の囚われの王女を手品のように救い出すストーリーである。あるいは、雲の中で眠れる美女を見つけ出すために山をよじ登るストーリーである。彼は暗闇で考え込んでいると愛する女性のことが頭を離れない。彼はその女性のために、自分が設計したロケットに乗って月面に軟着陸することを夢見る。また、空を飛ぶ魚につかまって海を渡ることを夢見る。あるいは、ロボットたちを服従させて陰謀を未然に防ぐことを夢見る。さらには、ヘリオスが放つ熱い光線の川のようになって寒い夜を温める夢を見る。このエリオスは、雄々しき太陽の王国の王ゼノンの皇子なのだ。

Maskero

曖昧模糊としていることがマスケロの生きる術であり、アンビバレンスな振る舞いこそは彼の好みの流儀である。その「マスケロ」の名前が暗示しているように、彼は仮面(マスク)をつけて進むヒーローなのか、山賊の顔を隠す仮面そのものなのか。マスケロにはそれが分からない。彼は自分自身の二面性の間を漂いながら一生を過ごす。すなわち光と影の二面である。あるいは、雄大な企図と小さな裏切りの間の二股道である。マスケロは闘いを好み戦争指導者を自任する。捕食動物のように貪欲な彼は、自分の中に切迫した欲望の炎をいつも抱えている。彼は所有欲と権力欲に取り付かれている。マスケロにとっては、風に乗って飛ぶロボットやユニコーンにまたがり、手に剣を持って、戦いの雄叫びを発しながら突進するほど素敵なことはない。彼にとって、自分の祖国である太陽の王国の旗を、力ずくで征服した山の中腹に突き立てるほど素敵なことはない。彼はしばしば血気に駆られる。けれども、苦悩しているその心は神への感謝や、ひょっとしたら一人の王女に対する愛情でほろりとすることもある。また、そのたぎる血筋から、ふと自分が誰であるかを思い起こす。そう、彼が太陽の王国の皇子であることを自覚したときには、仮面ははがれ落ちて本来のヒーローの姿が現れるのである。

Zenon

偉大なる王ゼノンは、その存在そのものが一つの神話、一つの伝説、一つの宇宙をなしている。「太陽の王国」で君臨する者ならば、当然そうならざるを得ないだろう。すっくと起き上がるたびに、太陽のごとくに天空を真っ赤に染める者は、やはりそうならざるを得ないのだ。傲然たるゼノンは人々に畏怖の念を抱かせるが、重い王冠をかぶり続けることに疲れを感じることもある。彼が統治しなければならない無窮の王国では、臣下たちは時の趨勢に従って態度を変え、自分たちの気分次第で、忠誠を誓う相手をゼノンからセレナに変えたりする。「月の王国」のセレナはいわば“夜の女王”であるが、ゼノンはむしろ彼女を“不吉の女王”と呼びたい。なぜなら、両国の国境付近では、いつもはっきりとした理由も分からずに争いが勃発しそうになるからだ。彼はおまけに息子たちのことも心配だ。王位継承権を持つ二人の息子はときおり無分別な行動に走る。彼らは世界の征服を計画したり、諸国の王女たちの略奪を企てたり、空想科学的な発明を試みたり、恋の熱に浮かされたり、刃傷沙汰(にんじょうざた)に及んだりする。彼は、この二人のどちらに王位を継承させるかも決めなければならないのである。偉大なる王ゼノンにとっては、これらの一切が煩わしい悩みの種だ。彼は夜に床に就くと、まるで自分が一介の無名人になったかのように、あれこれ夢想にふけることがある。そんなときの彼には権力も軍隊も栄光も無縁になってしまうのだが、半面、自分の心が普段よりもずっと軽くなったように感じる。だが、翌朝目覚めると、昨晩の夢想のことは一切忘れているのだ。

Cupidon

キュピドンは「ロボニリック」(夢ロボット)だ。ロボニリックはありきたりのロボットなどではない。彼は現実世界と夢世界との間に生きているのだから。その夢とは、最高に素晴らしい夢であり、いとしい人の名前をつぶやきながら見る夢であり、愛し合う二人がそれと気づかずに一緒に見る夢であり、愛の夢である。かくして、キュピドンは2つの世界の間を飛び移るのだが、現実世界のほうではハチドリのように自分の主人の周りをひらひらと回って、惜しげもなくアドバイスを提供しコメントを出す。彼は何に関しても一家言あるのだけれども、あえて黙っている場合もないではない。まさに愛がそうであるように、キュピドンの考えにも深い訳がある。この小さなロボニリックの一番ユニークなところは、その夢重ね構造の中に万能鍵が組み込まれている点だ。この万能鍵はあらゆる愛の夢の中で全ての心を開かせることができ、いかなる扉でも開けることができる。ただし、それには一つの条件がある。すなわち、この鍵を使う人が愛し合っている場合に限るということだ。これこそは、キュピドン鍵の普遍的法則なのである。